Art or Craft? (2)

今や多くのショップ、スタジオのサイトではtattooerをArtistと表記している。日本の伝統的な彫師でも、サイトによってはArtを使っているところもある。海外ではアートスクール出身のtatooerも少なからずいる。(日本でも結構いると思うが、調べたことはないので…)

Sanctuary TattooのChris Dingwellは、アート・スクール出身らしく、そのtattooの作風も彫り方も従来のアメリカン・トラディショナル・スタイル(old school)とはかなり違う。しかしながら、そんな彼も、tattooの基本はcraftsmanship=職人技だと断言している。
彼は独学でtattooingを学んだのだが、はじめてtattoo shopに勤めたとき、見習いの若いのが、自分が数年間悪戦苦闘してできるようになったことをいとも簡単にやってのけるのを見て、衝撃を受けたそうだ。そんな体験が職人仕事の大切さを彼に痛感させたのだろう。彼は、職人技のない芸術も、芸術性のない職人技も、どちらもあり得ないと今は思っているそうだ。

浮世絵や歌舞伎といった刺青の基礎となった文化が確立した江戸後期には、作り手も庶民も、それらを芸術だと思っていなかっただろうし、もともと日本の美意識の中には、モノの美しさだけを抜き出して純化して見せようという感覚はあまりなかったのではないかと思う。
器や道具、家具建具など、何か機能のあるもの、生活の中で使うものの中にこそ美しさを見出そうとしてきたことが、日本の工芸を「芸術」と呼ぶに相応しい域まで到達させたようにも思える。(じゃあ、刺青は何に使うんだと突っ込まれると困るが…敢えて言えば「平凡な日常に彩りを添える」ためのもの?)

逆に見ると、いわゆる「用の美」は排除し、純粋に「美しさ」という機能(役割)を目指したものを、美術(fine art)と呼ぶのかもしれない。

私自身は、人の作り出したものには、それが美術であろうが、何か商品や製品であろうが、すべてに芸術性が宿り得ると思っている。ファイン・アートは、確かにすばらしいし、多くの人を感動させるかもしれない。でも、私のにとっては、まったくアートとは極にあるようなものの中に「美しさ」を発見したときの方が、はるかに嬉しい。
(あー、何か堅いなぁ、この文書。たまにはいいか(笑))