neither confirm nor deny

これはムキムキ



米国核兵器政策と仏陀の方便


広義の密約問題で再び注目の米国の核兵器政策。米国の同盟国に対するポリシーを「NCND」と呼ぶそうだ。
"Neither Confirm Nor Deny"=「肯定もしないし、否定もしない」
米軍の保有する核兵器が今どこにあるかを同盟国には一切教えないし、かといって核配備してないとも言わないという方針。核の存在を肯定も否定もしないことで、同盟国に対して(もちろん敵対的国家・組織に対しても)圧力を加え優位なポジションを確保する戦略なんだそうだ。米国だけが使っている政策ってわけじゃないが。


NCNDという戦略が編み出されたのは古代インドに違いないと思う。
今から2500年前、釈迦は弟子からの質問に対して、肯定も否定もしない事柄があった。「世界は有限か無限か」とか「魂(自我)はあるのかないのか」といった質問については、YesともNoとも答えなかったそうだ。そんな形而上学的なことを考えていても、悟りは得られないし、何のためにも、誰のためにもならない無意味なことだと仏陀は考えていたらしい。この仏陀独特の方便を仏教では「無記」と呼んでいる。


核兵器の在りかについて「無記」の情報戦略をとられたら、ヒトには核兵器がそこ(例えば日本国内に)にあるのかないのかについては「可能性(確率)」しかわからないということだ。もしかしたら米国大統領でも、いまどこにどんだけ核が置かれているかは正確に知らされていないかもしれない。なんか核兵器量子力学的存在と捕らえてるみたい。核だけに量子ってことか。
核兵器の存在にせよ、魂(自我)の存在にせよ、ほんとうにあるのかないのかは「神のみぞ知る」ということなのだろう。つーか、ひとびとに対してNCND=無記という戦略をとることで、自らが「神」のような存在になれるのかも知れない。宗教は「神秘」、神業は「秘儀」って言うじゃない。


そういえば「NCNR」戦略をとるヤフオク出品者にも、ときどきお前は「神」か、というような態度のやつがいるな。そういうやつの「悪い評価」欄のコメント応酬を見ると、結構笑える。人格がネジクレ曲がったヒトってたくさんいるんだなぁ、つくづく。