tranquilizers as foot brakes, SSRI as engine brakes


フットブレーキ精神安定剤エンジンブレーキSSRI


といわれることがあるけど、本当?
「うつ」に対して精神安定剤フットブレーキなのは、そのとおりだと思う*1。でもSSRIエンジンブレーキかというと、そう単純に言い切ってはいけないと思う。


下り坂のとき(つまり、うつでどんどん落ち込んでいく局面)は、とても分かりやすい。エンジンブレーキがじわっと効いてきて、坂の下まで下りきってしまう前に減速してしっかり停止できる感じがする。でも再び走り出すとき、つまり落ち込みからの回復局面はエンジンブレーキの喩えでは、上手く説明できない。
それ以上落ち込むのを止めるのには、非常によく効くのだが、落ち込みが軽くなり上昇に向かうときに、ひどく不安定になりやすい感じがする。
自動車でいうと、走り出したら、いきなりアクセルを踏み込んでしまうとか、いきなりシフトレバーをトップに入れてしまうとか、そんな状態。せっかく静止できたのに、今度は暴走してしまうのだ。そのまま突っ走って、電柱にぶつかって死ぬか、あるいは他人を巻き込む惨事になる、ってこともあり得る。


だから、エンジンブレーキのようだと単純に言ってしまっていいのかな、と思うのだ。むしろ誤解を生む表現のような感じがする。気持ちが奈落の底に落ちていくとき、シフトダウンしてくれる薬だと安易に考えるのは、なんか違う。SSRIは落ち込みを食い止めたり、不安感を和らげる薬ではなくて、落ち込みや不安の原因が気にならなくなる薬なんだと考えた方がぴったりくる。大袈裟に言うと「何も気にならなくなる」薬。
ぐじぐじ悩んでいた人もSSRIで「そんなこと気にしなくてもいいか」とか「人生いろいろあるし、まぁ、いいか」と思えるようになる。この「まぁ、いいか」のあたりで止めて、その状態をキープするのが大切。でもこれが難しい。加減を間違うと「まぁ、いいか」がすぐ「もぅ、どーでもいい」になってしまう。
ヒトが社会で生きてくには「ささいなことは、気にしない」というぐらいの方がいいのだが、これが「何にも気にしない」になると、とても危ない。「傍若無人」ならまだしも、よくもわるくも「恐いもの知らずで、無鉄砲」な状態になる。


エンジンブレーキは減速効果があるとはいっても、やっぱり本当のブレーキではない。下り坂では効果があっても、他の場面でも使えるわけじゃない。
暴走しがちなヒト*2に対しては、SSRIなどの抗うつ剤は禁忌(ダメ、絶対ダメ)だというのは、精神科医の常識になりつつあるそうだ。フットブレーキ的に働く気分安定剤精神安定剤)が処方の第一選択肢。いきなりSSRIをどっさりくれる医者には注意した方がいい(たぶん藪)。


セロトニンは脳をクールにすると表現されることもあるけど、それはセロトニン神経がナチュラルな状態でうまく働いているときのことだろう。セロトニンがたくさんあればクールになるんじゃなくて、セロトニン神経が正しく働かないとクールにはなれないと思う。SSRIシナプス間のセロトニンを強制的に増量すれば、セロトニン神経の活動が全体的に活発になるのかもしれないが、それが正常な状態とイコールではないのかもしれない。本来、神経は特定のシナプスが活動して正しい経路で情報を伝えないといけないのに、全体が活発になっていたら、情報が間違ったところに届いてしまうのではないか、と素人的には思う。
例えばある機械に5つのボタンがあって、そのうち3つ押すのが正しい操作なのに、間違って5つとも押してしまうような感じ。それでもボタンを全く押さない状態よりはましとしても、誤作動でいずれ故障してしまうかもしれない。


脳というか、心というか、そういうものを自動車にたとえることに、そもそも無理があるのかもしれない。自動車の何倍もデリケートなコントロールが必要なシロモノなのだろう。そもそも、人生というか、渡世というのは、上り坂とか下り坂とかUP・DOWNだけじゃなくて、曲がりくねったり、右折禁止だったり、行き止まりだったりするんだから。

*1:ただし、依存性の強い点は、要注意!

*2:いわゆる新型うつ病とひとくくりにして言われるタイプ。医者は、双極?型、非定型、ディスチミア親和型とかいろんな分類を試みている。看護士のジャーゴンでは、気ままうつ、不思議うつ、ファッションうつ、なんて言われているらしい。