ブランケット・コート チェック(黒×オフホワイト) ウール
Side by Side @ラフォーレ原宿2.5階
4万7250円


クリスマスにはカミさんに何か暖かいアウターをプレゼントしたい。
これは息子へのプレゼントでもある。


私の母が死んでもう何年になるだろう。
病院で母の死には立ち会った。父は遺体にすがりついて泣いていた。でも、不思議と私は悲しくなかった。涙も流れなかった。むしろ、死の前のあの苦しみの淵から母が解放されたことに安堵した。
母は熱心なクリスチャン(プロテスタント)だった。老後はとくに教会にまめに通っていた。もし神がいるなら、母は間違いなく天国に召されているだろう。彼女が天国にいけないのなら、誰がいけるってんだ。
いや、別に神さまを引き合いに出さなくとも、母の遺伝子の半分とミトコンドリアは僕が受け付いている。母の思い・考え方・知識・生き方は全て僕が引き継いだ。だから、母が死んだ瞬間も、まったく何かを喪失した感覚はわかなかった。むしろ、これで全てを受継いだと感じた。


母は小柄で華奢な女性だったが、とてつもなく広く大きな心で私を愛してくれたと言う実感が今も残っている。その象徴が、私にとっては、母のコートなのだ。オフホワイトのリングツイードのプレーンなコート。


私が育った家は丘の端にあって、駅から歩くと10分程かかった。当時は家まで大きな建物はなく、田畑に戸建てが点在するだけで、風をさえぎるものはなかった。12月には北風が道を吹きぬけていた。隣町に母と買物に行った帰り、丘に沈む夕日に向かって、北風の中を急いで家に帰るのが常だった。私の背がまだ母の胸にも達しない頃は、母はいつも、ツイードのコートの裾を広げ、私をその中に入れて、二人で羽織るような格好で走って帰ったものだ。
小さな母のコートでは、私の肩を覆うのがやっとだったが、それでも、とても幸せな気持ちだった。暖かい安心。愛されている実感。コートはやわらかく、やさしかったが、どんなに大きな岩よりも、堅牢な砦よりも、幼い心を力強く守ってくれた。
今でも夕日の空を見上げると、空から母が大きな見えないコートを私に広げてくれているような安堵感を覚える。この思い出が、僕のルート・ディレクトリだ。


幼児教育に一生をささげた母に、孫の顔を見せてやれなかったことは、私の最大の親不孝だ。
だから、私は母が私にしてくれたことを、父親として息子に伝えなければならない。幸い、あまり心配しなくても、うちのカミさんは、グレートなハートで息子を育んでくれている。GREAT MOTHER PROJECTはもうスタートしている。私はほんの少し、このプロジェクトが上手くいくように環境を整えてやることぐらいしかできないのかもしれない。


だからコートをカミさんにプレゼントしようと思った。できればマントのように広がるのがいい。生地は見るからに暖かそうなの。マントは僕も着たいアイテムだが、身長の高いカミさんの方がきっと似合うだろう。その裾にすっぽりと息子を巻き込んでやってほしい。
なんてことを思いつつ、物色していたのだが、マントってあんまりないな。男物ならいくつか見つかったけど。
カミさんは、今は子育て重視でGAPとかベネトンとか着てるけど、元々はキテレツなアイテムばかり着ていたヒトだ。服はもっぱらサンプルセールで買っていたらしい。高い身長と強い個性が幸いして、商品化されすに終わった奇抜なデザインのものほど、彼女にはまったらしい。
たまには着れないぐらい個性的なものでもいいかもしれないと思って、ユニセックスな個性派デザイナーの作品ギャラリーと化しているSide by Sideをのぞいてみた。初めていったときは、めっちゃ面白いけど、業務用アイテムを発見するのは無理と思ったので、その後は足が遠のいていた。


ここならあると思ったら、さすがにありましたね、マント。レディースえ1作品、ユニセックスで1作品。ユニセックスものが面白い!長方形のブランケットに、同じブランケット地でつくった細い筒状の袖を2箇所縫い付けただけ。試着してみると、前身頃は、ブータンの民族衣装のようなあわせにしてもいいし、肩にまわしてポンチョのようにもなる。肩にあまったブランケットを上手にタックすると首周りでフードのようにもなる。こりゃー面白いし、暖かい。なんせ、毛布そのまんまですから。


追記:
25日のカミさんの反応×。
子供相手に着るには、マントタイプは裾がしゃがんだときに、地面についてしまうのでダメらしい。でも、服としては面白いので着てくれるみたい。
まぁ、彼女が着なくなったら、僕が着るだけの話だけど(笑)