private room or pubric space

東京都写真美術館リバイバル展示してる「おたく:人格=空間=都市」を昨日TVで見た。建築屋さんの企画なので、オタクそのものよりも、空間を見せたいという意図が強かったんだなと思う。でも案外、そこで見せている空間自体が、オタクの本質をスパッと形に表しているような気がした


■オタクための3つの「個室」
展示空間で印象的だったのは、3つのボックス、というより「個室」。大中小3つの「個室」が登場する。一番小さい個室が45cm角のレンタル・ショーケース。中型が、まさにオタクの個室「部屋」。大型が、巨大なボックス「東京ビッグサイト」でのコミケ
オタクの部屋が「個室」なのは当然として、ショーケースも人にプレゼンする場だけど、あの小さな空間に個人的な思いがつまってんだから、それぞれのケースがとても個室的だと思う。そう考えると、あのビッグサイトも、コミケのときは巨大な個室なんじゃないかと思えてきた。あぁ、だとするとアキバは、オタクの「居間」なんだな。


■オタクはタマゴから生まれる
森川嘉一郎氏は、オタク化の発端は1970年の大阪万博だとしていたが、あのとき、万博会場を走り回っていた子供が、10年後、まさにオタク第一世代になったんだと思う。日本で子供部屋が急速に普及したのもちょうど70年前後。オタクは個室が育てた種族なんじゃないかな。個室の子供部屋がオタクの孵卵器なったんだと思う。うーん、もしかしたら、子供部屋はオタクのタマゴだったのかもしれない。個室は、未熟なオタク・インブリオを守るタマゴの大事な殻?
今ではインターネットがオタク文化醸成の最大の基盤のように言われてるけど、80年代にオタクが世に現われた頃は、そんなもんまだなかった。第一世代のオタクは、やっぱりお宅のお部屋で、ひとつひとつタマゴで生まれてきたんじゃないかな。卵黄(養分)は、部屋にあふれるマンガや雑誌の山。
大家族タコ部屋で兄弟に揉まれて育ったら、オタク性格にはならないょね、きっと。子供部屋がないような小さい家に住んでたら、いくらアニメ好きの子供でも、オタクになれないんじゃないか*1。両親共稼ぎってのも、オタク化の促進要因かもな。
インターネットは、オタク胎児に外から養分(=カルトな情報)を運ぶ胎盤かへその緒なんだろう。もしかしたら、いまどきのオタクは、爬虫類から進化して、もう哺乳類なのかもしれない。彼らの個室は、タマゴよりも居心地のいい子宮に進化してるに違いない。70-80年代の個室に比べたら、PCはもちろん、冷暖房、TV、電話まで完備されてるもんな。
そこまで居心地がいいと、羊水につかったまんま生まれたくないって胎児も出てくるわな。腹の中に長く居すぎると、骨盤より頭がデカクなって、外にもう出られなくなるヤツがいてもオカシクない。なんか巨大な原始母神か太母みたいなのが、web上にいて、そこからインターネットへその緒で、沢山のオタク胎児がつながってるっていう、とんでもない絵をいま想像してしまった。夢に出そ。。。


■個室が問題なわけじゃない
人の目から隠された空間で、一人こっそりやるからオタクらしい世界観が育まれるんだろう。オタク同士の共感もプラスに働くだろうけど、根っこはやっぱり、個人的妄想の世界がないとね。コミケはみんなでやるもんだけど、自分と同じと思えるヤツが集まるって点では、大きな大きな「僕の部屋」って感覚なんだと思う。共同妄想に浸れる大きな個室。
人や世間にもまれると、精神的に鍛えられるかもしれないが、もまれすぎると価値観が現実的・平均的になりすぎて、発想も無難で面白くなくなるかもしれない。だから、子供部屋も個室も、一方的に悪いわけじゃない。部屋にこもって、他人の目を気にせず、一人でジタバタしてみるところから生まれてくるものもある。
ただ、「個室」から自分では出られなくなってしまうのが問題なんだと思う。誰でも一人になれる時間や自分だけの空間が必要な瞬間ってあると思う。世間を泳ぐにゃ、充電しないとネタも切れる。リチャージャーは必要だが、リチャージャーに置きっぱなしじゃ、携帯も役立たずってこと。


なんて考えると、サブカルチャーって、人の目から隔離されているからこそ、育ってくるのなのかな、と思えてくる。

*1:オタクな人って、そこそこの大きさのある家の子のような気がする。つーことは、小さい家が多い都心よりも、家賃が安くて家が広い地方都市の方が、オタクの温床なのか...ファスト風土論に続くので、以下割愛