SEP

人ごとだと思って



人事と書いて「ヒトゴト」と読む。


人事部のヒトになってみての実感。
人事は経営の要なんて言うけど、うちの会社みたいにほとんど人件費で出来ている会社は、もう人事しかないといっていい。でも人事を仕事としてやってみると、これは「他人事(ひとごと)」と思ってやらないと、いい意味でもわるい意味でも、やってらんねぇ。人事部内の会話ぢゃ、みんな、ヒトの行く末のことを、ほんとヒトゴトのような感じでしゃべってる。


ヒトの行く末やら、ヒトの価値*1を決めるのに、いちいち当人の気持ちに配慮してたら、バシバシ切った張ったはできないからね。だいたい、ヒトの行く末を自分のコトのように案じて、一喜一憂してても、もたないって。
ヒトが昇格するのを見れば、自分の身の上と比べて落ち込み、ヒトが降格されるのを見れば、明日はわが身かと愁う。。。なんてこと、してらんねぇ。仕事だから、ヒトやら組織の浮き沈みは、他人事と割り切って。当人の気持ちは、適当に無関心を装って。


もっとも、人事に私情やら先入観やら交えるのは論外。*2
成果主義の昨今、客観的なエビデンスに基づかないと、恨まれるから。(というか、エビデンス主義は、いざというときの「言い訳」を用意しておくというサラリーマン人生の知恵。あーー大人ってヤダ。)
人事なんて、たいてい本人の知らぬうちに、知らぬところで、見知らぬヤツらが、ヒトの行く末を決めているって意味でも「ひとごと」だわナ。
「人事無常」、いや「人事無情」、いやいや「人ごとには非情」か。


もちろん「他人事」ってだけぢゃ、仕事になんねぇ。仕事の基本は、「ヒトのコトに関心を持つ」ってのがないとね。
ヒトに関心がないヤツって、会社でも社会でも、仕事する資格ないね。もー、ヒトに対して失礼というか、社会人失格というしかない。そんなヤツが、ヒトから金もらっちゃいけねぇって。
例えていうなら、「病気には関心があるが、患者には興味のない医者」もしくは「鉄道は好きだが、乗客はどうでもいい国鉄マン」。
当人が「オレの話聞いてないだろっ!」と感じていたら、どんなに¥やら数値やら資格やら、客観的データに基づいて人事評価して決めましたなんて言っても、誰も納得しないわな。ちゃんと「アンタのコト、見てますよー」ってとこは、本人に伝わってないとね。


ただし、ヒトのコトに関心を寄せるのと、人事に配慮するのとは、アザー・プロブレムだぜっ!

とか。

*1:給料っつーか、労働の価格帯っつーか、いわゆる人事評価ってやつ

*2:...といいながら、人事もヒトの「見た目」に左右されやすい。米国の調査ぢゃ、出世したヒトの平均身長は、万年平社員より高かったっつーのもある。日本ぢゃ逆に、やりて部長クラスは身長が低いことが多い感じがする。でも最後にトップまで上るヤツは、背が高いような気もする。